今までボクが旅先で出会ってきた人は、ヴィパッサナーという瞑想法を学んでいる人が多くいました。
これはかつてブッダが行ってきた瞑想方法です。
その訓練というか、経験を無料で提供している施設が、日本には千葉と京都の2カ所あります。
千葉ならボクの実家から近いですが、なぜか京都という響きに直感的に反応してしまいました。
季節は秋、瞑想するには丁度いい時期に巡りあえた。
もくじ
10日間の瞑想修行が始まる
京都に飛んだボクは、ダンマバーヌ(瞑想センター)のある園部駅へ向かった。
そこからバスで30分ほど山の方へと走る、
するとそこには首都高などに使われている防音壁のような壁に囲まれた、小さな施設があった。
参加者は思っていた以上に多くて、ざっと50~60人ほどだった。
事前に聞いていた情報では、
ここでのプログラムは、10日間瞑想だけをして、その間は一切誰とも口をきいてはいけない(聖なる沈黙を守る)ルールだった。
詳しい内容や1日のスケジュールなどは、ヴィパッサナー瞑想センターのサイトに示されています。
まだ始まってはいないのだが、皆そのルールを意識しているのか(ボクも)?
場の雰囲気は大勢居る割には妙に静かで、少し異様だった。
10日間の行程など、一通りの説明が終わると、0日目にすることはおしまい(寝るだけ)。
与えられた部屋には、ボク以外にも年の近い青年が2人おり、
布団を川の字に敷くと一緒に10日間を過ごすことになった。
0日目だけは会話が許されたので、おのおの自己紹介をするが、
類は友を呼ぶ!
やはり2人共ボクと同じような匂いのする男だった。
「それじゃあ10日後!また会いましょう。」
最後にこう言って、ボクら3人はお口にチャックをした。
これから10日間、同じ部屋で寝起きするのに、
「また会いましょう」って…今までに例がない言葉の使い方だ。
1日目~3日目が本当にキツイ
1日の流れを簡潔に説明すると、
朝は4時に起きて瞑想→朝食と休憩→瞑想→
昼食と休憩→瞑想→ティータイム(果物と茶)→瞑想→
夜はテープによる講話を1時間ほど聞く(唯一の瞑想以外の時間)→9時半ころオヤスミなさい。
※詳細は、公式なページで確認できます。
食事内容は、生命を食べません。
味も薄味で、炊きこみご飯と野菜たっぷりの汁物が基本であり、精神への刺激ゼロ。
心身に優しい内容です。
着替えや歯ブラシなど、最低限の生活用品以外の持ち物は、0日目に全て運営局に預けています。
紙とペンすら所持できません。
なので休憩時間は空を眺めたり、施設内を散歩することくらいしか選択肢はない。
コミュニケーションをとってはいけないので、誰とも話さないどころか目も合わせません。
夕食は出ないので、お昼以降は空腹との闘いです。
一日の最後に、音声による講話を聴くのですが、自分の心の中にある汚点や痛点を見事ついてくるのです。
お話の時間は、1日の中で唯一ある瞑想以外の時間です。
こんな感じで2日3日と過ぎていくのですが、想像できますか?
1日の大半を、目を瞑ってじっとしている。
正しい瞑想法は、
鼻から出入りする空気(呼吸)だけに意識を向けて、自分はただこの世で今という時間と空間に存在する、1つの生命体であることを感じること。
とボクは理解しています。
ですが、上手く瞑想できている時間は1日のうち、わずかしかありません。
過去の事や、未来の事、変な空想、
など、雑念ばかりを巡らせてしまいます。
それが3日も続くと、思考がどうにかなりそうで、パニックで呼吸困難になりそうでした。
4日目を乗り切ると精神は安定する
考えることをやめて、自分の呼吸だけに集中できるようになったのは、4日を過ぎたころだった。
風で枯葉が木から落ちる瞬間を見たのは、この時が人生で初めてだったかもしれません。
それだけ普段は、
常に何か忙しい用事があったり、スマホばかり眺めていたり、見えていないことが沢山あったのかもしれません。
またこの頃は、食事の摂り方も分かってくる。
夕食がないから、昼食を沢山食べてしまっていたが、(おかわり自由)
4日目にして気づく。
朝飯も昼飯もいたって普通の食事量にすると、夜は空腹に悩まされなくなった。
静まり返った食堂での食事も、無言で暮らすことにも慣れてくる。
1日がこんなにも長く感じるのは、今までにない体験だった。
ヴィパッサナーで心に残ったこと(私見)
良い事ばかりに執着してはいけない、悪いことが起きても嫌悪感を抱いてはいけない、
なぜならそれはアニッチャー(全ては移り変わっているだけ)だから。
所有物にこだわるのは人間だけ。
とっても個人的な見解になりますが、
ヴィパッサナー瞑想を一言で表すなら、
【愛と平和】です!
自分という命は、肌を伝う空気や水のようなもの。
動物も草木も目に見えない微生物も同じ命。
みんな日々移り変わる時間の中で存在しているだけに過ぎない。
だから自己愛に執着することもないし、死ぬことも恐れない。
そんな意味だと受け捉えました。
とても平和な考えだと思いましたが、ヴィパッサナーを極めるということは、
この先の人生は「何もしない」ということにもなります。
何かを作り出すこともなければ、破壊することもしない。
ハイテンションになったり落ち込んだりしない、感情は常にフラットでいなければならない。
全てを受け入れるのは、ボクには難しいことですが、
ヴィパッサナー瞑想をやってみて、本当にすばらしい経験をしたと思っています。
10日目(最終日)の幸福感
なんと10日目は、人とのコミュニケーションが許される。
ボクは同じ部屋で過ごした仲間に、いきなりハグをした。
会話をしていなくても、10日間一緒に生活したことは事実だから、不思議と皆すぐに仲良くなる。
ボクの場合、声帯が正常に機能するまで時間がかかった。
10日間も声を出していないと、人は話す筋肉さえ失ってしまうのだと知った。
部屋の掃除に会話、瞑想以外のことは全て楽しかった。
さいごに
11日目、外の世界へ戻ります。
精神と時の部屋(某アニメの部屋)に居たかのような、普通じゃない時間感覚で過ごした気分です。
ヴィパッサナー瞑想は、
「神様を信じなさい」とか「仏教徒になりなさい」とか…
強制は一切ありませんし、他宗教の方も参加できます。
ボクなら、死ぬまでにやっておきたいリストに【ヴィパッサナー】と書いても、後悔しないと思います。
※ただし最初の3日間はホントきついです(主観)。あと、酒とタバコをする人は禁欲が大変かもです。